鬱病生活記

 表紙
 目次
 はじめに
 第一章

 第二章

 第三章

 第四章

 第五章

 第六章

第三章 鬱病者としての日々

3.孤独に未来へ活動

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8月18日(火) 15:00頃

【私は何の病気?】

今日までの五日間は、久しぶりに忙しい生活を送った。
そして、この五日間で、私は8月末を目途に、このマンションを離れ、引っ越しする事となった。
よって、今日は、そこら辺の出来事を書き残す。

まず、8月14日(金)。この日は、いつも通りの診察の日。
更に、先週の診察時に決定した、カウンセリングを受ける日。

カウンセリングは、11時からだったので、「10時から動き出せば良いか。」と思っていたが、7時頃目が覚めてから、どうも、再び床に伏せる気にはならなかった。
布団を畳み、寝床片付け、テレビをボーっと眺めていた。

そんな時、不図、大分前に届いていた国民健康保険からの通知の事を思い出した。
4月は丸々入院していたので、どうやら、国民保険の月々支払う限度額以上の医療費が発生しているらしく、それの超過分を役所に行けば返して貰えるとの事だった。

それを思い出し、私は、早速出かける準備を始めた。
マンションを出て、自転車で行ける距離の役所に着いたのは、丁度、9時過ぎ位であった。
流石に朝の早い時間帯だからなのか、殆んど待たずに、手続きを終える事が出来た。
帰りは、途中にあるスーパーへ寄り、買い物をしてマンションに戻った。
この時点で買い物をしておけば、「病院帰りのスーパーで買う物が減るな。」と思いながら、買ってきたアイスと牛乳を冷蔵庫へ片付けた。
そうしている間に、10時頃となり、少し早く着くが、タクシーを呼び、カウンセリングの為、病院へと向かった。

病院に着いたのは、10時40分頃。
まだ、予約していた時間には早いので、外のベンチに腰を下ろし、一服していた。
すると、未だ入院中の『ひろさん』がやって来たので、話をした。
どうやら、明日、彼女は退院らしい。
それを聞いた私は、「じゃあ、明日の夕方6〜7時くらいになると思うけど、退院祝いにおごるから、夕食でも行こう。」と彼女を誘い、彼女もそれに同意した。
この時私が、「夕飯」としたのには、訳がある。
何処かで書いているかもしれないが、次の日の8月15日(土)は、彼が、示談をしに、このマンションにやって来る日だったので、「彼は昼頃に来て、夕方にはその話も終わりが見えるだろう。」そう思い、夕方に予定を入れたのだ。


さて、そんな形で時間を潰し、私は定刻通り受付に向かい、「カウンセリングの予約をしていた金子です。」と話をすると、早速、カウンセラーの人が出てきて、診察室に招かれた。
診察室は、この前(結構前だが)、IQテストを受けたところと同じ部屋だった。

カウンセリングの時間は50分間。ちなみに、料金は8千円。(保険が利かないので、全額自己負担なのである。弁護士の相談料並み。ちょっと、高すぎないか?)
カウンセラーと互いに挨拶を終え、早速、カウンセラーからこれまでの状況を話してくれと頼まれた。
私は、「主治医には全て話してあるので、カルテとかに経緯は書いてありますよね。」と問いかけると、カウンセラーは「まあ、簡単には書いてあるのですが、精神科医とは別の視点で診察したいので、重複して申し訳ないんですが、私に一通り話して下さい。」と言われ、私は、時計の針を気にしながら、これまでの経緯を淡々と話せて聞かせた。

私は、こんな日記のような物を書いているせいもあり、今回の件の経緯については、もう、整理して人に話せる程、頭の中に入っている。
私が話すだけなら、そんなに時間は掛らなかったのだろうが、合間合間にカウンセラーの質問がある物だから、私の経緯を話すだけで、今回のカウンセリング時間である50分間を、使い果たしてしまった。
そして、最後にカウンセラーは言う。
「後2回、カウンセリングに来て頂いて、金子さんのお話を、生い立ちから聞かせて下さい。そして、治療方針を決めます。表面的で簡単な治療方法にするか、今回の件がきっかけで『男性恐怖症』にならない様に深層心理まで迫った深い治療方法にするか。それを、後の2回目のカウンセリングの時に、私から提案させて頂きたいと思います。」
そう言う事で、とりあえず、後2回はカウンセリングに通う事となった。
次回は、8月21日(金)、その次はカウンセラーの都合で1週飛んで、9月4日(金)。
両方とも同じ時間帯との事。

私は、「『男性恐怖症』になんかならないだろうけど、この際、深いところまで診て貰いたいものだ。特に、私が持っている『厭世感』について、これが解決するなら良いな。」と感じていた。

午後からは、主治医の診察であった為、近くのコンビニで昼食のおにぎりを買い、病院に戻り、外のベンチに腰掛け、昼食と食後の一服を楽しんだ。

午後の外出可能時間になったのだろう、また、『ひろさん』が、私の知らない同じ病棟仲間と一緒に現れた。そして、私のいるベンチに腰を下ろし、歓談を始めた。
『ひろさん』は、薬のせいであろう、いつもの様に少し眠そうでボーッとした感じだった。
外から見ても、明らかに、精神病の気配を漂わせている。
逆に、一緒に来た病棟仲間は、常人と変わらぬ雰囲気であった。
ここに収容されている人間は、何故か話しやすい物で、初対面であっても、私は相手が許す感じであれば、会話を試みる。(私の気が滅入っていない時は。)
『ひろさん』と一緒に来た彼女も、別に会話を嫌がるような感じでは無かったので、自然と互いの事を話すようになっていた。
「いつからここに入っているの?」とか、「最初は私が居たところとおんなじ病棟だったんだ。」とか、そんな感じの事を話していた。
その話す感じでは、また、見た目に関しても、彼女は“まとも”にしか見えなかったので、私は、気になって訊ねてみた。
「『鬱病』なんですか?」
私は、この様に“まとも”な感じの人は軽い症状、つまり、私と同じように、“とりあえず『鬱病』”とされた患者なのではないかと考えていた。
すると彼女の答えは、予想外の物だった。
「いいえ、『統合失調症』なんです。」

私は、正直驚いた。私が入院していた間に接した『統合失調症』とされている患者達とは、まるで違ったからだ。
私の入院経験上、『統合失調症』まで来ると、おおよそ、その人の空気で「結構、重症だな。」と感じられたものだが、彼女にはまるでそれが無い。
私は、『統合失調症』の奥の深さと言うのだろうか、幅の広さと言うのだろうか、それを考えずにはいられなかった。
そして、もしかしたら私も「統合失調症?」と頭に過るのであった。

ちなみに、最初から『統合失調症』と病名が付けられる事は少ないらしいかった。
実際、今回で5回目の入院となっている『ひろさん』は、1回目の入院時に下された病名が、『躁病』だったと言う。2回目の入院時に、『統合失調症』と言われたそうだ。

『統合失調症』となる前に、『躁病』とか『燥鬱病』とかの病名が付けられ、その薬を出してみるがあまり効かない。そこで、医者は、単なる『躁病』とか『燥鬱病』ではない事を疑い、『統合失調症』と診断を下すに至る。そう言う事だろうと、私は何の根拠もなしに捉えている。
(補足として言わせてもらうと、『統合失調症』でも『躁病』や『鬱病』でも、同じ薬を使用する事があるのらしい。だから、本当は『統合失調症』なのに、『躁病』や『鬱病』の薬が効いているので、『躁病』や『鬱病』の診断のままにされている人も少なからず居る事だろう。)


さて、そうこうしている間に、私は時間になり、診察室へと向かった。
いつも通り、主治医と挨拶。
特段、いつもと変わりない、薬を出す為だけの診察だったが、私は一つ気がかりな事があったので、その事を主治医に伝えた。
「今週の水曜日、頭痛は無いんですけど、非常に頭が重かったんですよ。夜は、少し楽になり、次の日には治っていたんですけど。」
すると、主治医は、私に尋ねた。
「う〜ん、頭が重いって言われても色々あるからな…。具体的にどんな感じでした?」
私も、“頭が重い”と形容する以外に、どう表現をしようか迷いながら答えた。
「そうですね。頭の中に濃い霧が立ち込めている感じで、だからと言って、頭が回らないでボーっとする訳でも無く、それなりに考える事は出来ましたし。それと、『風邪かな。』と思って、体温を計ったんですけれども熱は無いし。『外から刺激を与えたら良いかな。』と思って、頭をポカポカ軽くたたいてみても駄目でした。あとは、肩が凝っているのかと思い、首とか肩とか揉んでみても駄目だったんですよ。ただ、こんな感覚になったのが生まれて初めてだったので。」
そう言うと主治医は、「ポカポカ叩いても治らないよ。機械じゃないんだから。」と笑いながら答えた後、こう続けた。
「まあ、一日だけだったんでしょ。それ程、緊急の事でもないだろうから、あんまり心配する必要はありません。」
私もその意見には納得できたので、「そうか、それ程気にする事も無いな。おそらく、その前の日までにホームページ改修に没頭していた反動だったんだろう。」と思いつつ、「いや、先生、機械だってポカポカ叩いても治りませんよ。昭和のテレビでもあるまいし。」と心の中で呟いた。

診察も終わる頃になり、「診察ではただ処方箋を貰うだけ。」と位置付けていた私は、主治医に申し出た。
「来週の診察は、必要無いです。どの道、カウンセリングで、午前中にこの病院に来るんで。カウンセリングの後、午後まで待つのも面倒くさいので、2週間分薬ください。」
すると主治医は、「分かりました。じゃあ、来週はお休みと言う事で。ところで、デパスは一日一回の2週間分で良いですか。」と訊ねてきた。
私は、普通、一日二回はデパスを飲む。多い日は三回飲む。今まで、一週間分1錠で出してもらっていたのは、最初の頃3錠貰っていても2錠しか飲んでない日が多く、その余りがあったからだ。そして、その余りは、そろそろ底が尽きかけて来ていたのである。
だから、私は主治医に言った。
「否々、私は、大体一日に二回は『デパス』を飲んでいて、残りも少なくなっているんで。そうですね、今7錠あるから、えーと、一日二回と考えて、2週間だから、14(1日2回で)×2錠。そう、24錠ください。」
そう私が答えると、主治医はちょっと驚いた様子で、「えっ、そんなに『デパス』飲んでるの?」と言うので、私は平然と「ええ、飲んでますけど。」と返した。
主治医は、「僕はその半分の量を飲んでも、3分もすればスヤスヤ10時間熟睡、みたいな感じなんだけどね。やっぱり、何処か緊張しているんじゃないかな、脳が。」と答えた。
私は心の中で「前も聞いたよ、その話は…。」と思いつつも、特に突っ込まず診察を終えた。

…診察室を出ながら、私は「何か変だな。」と思っていた。
受付に座り、「さっき、『デパス』24錠って言ったような気がする。」と自分を振り返っていた。
普通の人なら、もうお分かりだろう。「14×2=28」である。
私は、「14×2」と計算して、口から出た言葉が、24だったような気がしていた。
実際、その後、薬局で処方箋を出す時確認してみると、「『デパス』24錠」と書かれている。
まあ、4錠ぐらい足りなくても何とかりそうなので、それは良い。
問題は、私が、単純な掛け算を間違えた事だ。
やっぱり、私は、人と話している時等、無意識に緊張しているのではなかろうか。
否、人と話をしていなくても、一人で居る時でさえも、何処か緊張しているのだろう。
このところ、非常に落ち着かない。
何かしていないと落ち着かない。
『デパス』を飲んでも、この頃は、落ち着けない。

だからなのか、ここのところ、今日も含め五日間、この後のページに記すが、慌ただしい状態を続けていた。


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