鬱病生活記

 表紙
 目次
 はじめに
 第一章

 第二章

 第三章

 第四章

 第五章

 第六章

第四章 社会復帰への階段

1.ニート脱却へ

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9月28日(月) 23:00頃

【出勤初日と金縛りの夜】

今日は、アルバイト初日だった。
仕事内容は、特に問題ない。
実に簡単な、そして、単純な作業だった。
「単純」とは言っても、私にとって始めての分野になる作業だったので、それなりに考えることもあり、集中し、あっと言う間に仕事の時間は過ぎてしまった。
結局、時給は800円。時間は、9時から17時まで。(昼休み、1時間あり。)
確か、17時までだと思ったが、紙一枚の雇用契約関係の書類は、署名捺印して、提出してしまったので、「あれ、終わりの時間は17時で良かったんだよな。」と思いつつも、その条件を知っている総務の人は午後から外出で居なかったので確認する術も無く、17時に堂々と帰った。(その場にいた職員で、私の労働時間帯を知っている人が居れば、17時で無い場合、止められていただろう。しかし、そこに居た数人からは誰にも止められず、「お疲れ様」と帰りの挨拶も交わしていたから、17時で良かったのだと推測する。)

会社を出てから、「買い物でもして帰ろうかな。」と近所のひなびた商店街を見回したが、「特別、買うものも無いか。」と考え、家路に着いた。

時間を確認すると、17:20頃だったろうか。
アイスを2〜3本食べながら、ボーっとしつつ、テレビでは「競馬の中継」が流れており、私は、更にボーっとしながら、少し転寝しながら休んでいた。

体に疲労感は無い。「デパス」も飲む感じではない。
「デパス」は、朝と、昼(昼休みに家に帰って食事をしていた時)に飲んだが、夜は必要なさそうだ。

そして、先ほど就寝前の薬を飲み、また、こうしてホームページを書き足している。


さて、今日書きたいのは、昨日の夜にあった久しぶりの「金縛り体験」についてである。

実は、この「金縛り体験」は、大学生時代から、ちょくちょくあった。
特に頻繁にあったのは、大学一年生くらいの時。(だったと思う。)
社会人になってからも、何度かあった。
この感じを暫く忘れていたが、また、昨晩、それがあったのである。

「金縛り」と言うと、直ぐに「霊的な・・・」なんて言いそうな人が少なからず居るだろう。
しかし、幾度と無くこの体験をしている私は、この「金縛り」と言う状態は、「体を動かす脳の部分は働かず、意識(思考といっても良いかもしれない)の部分だけが目を覚まし、働いてしまう現象」だと実感している。
大体、この様な状況の時、思考は「怖いこと」を考えがちだ。
今回の場合、私は、窓の外に女の人が立っている事を想像してしまった。
実は、予てから、今住んでいる賃貸物件が妙に安いので「いわく付き」の物ではないかと勘ぐっていた。
また、この近隣で数年前に帰宅途中の女子学生が殺された事件があり、何となくそれを意識していた。
そして、今回、それらが結びついて、変な想像をしてしまったのである。
金縛りに遭うと、ついつい、こっちの怖い方の考えが頭に浮かぶもんだから、いつも、「起きよう、起きよう。」と頑張る。しかし、体を動かす脳の部分は、大分熟睡中らしく、中々、目覚めない。こういった時に良くある現象が、「起きた夢を何度も見る。」と言うものだ。
そんなこんなを繰り返していると、何度目かの「起きた夢」と思っているものが現実となり、ちゃんと起きる事ができる。そして、私は、気を紛らわす為にテレビを付けっ放しにし、現実を確かめ一通り安堵した後、再び眠りに就く。


やはり、「初出勤を前にして緊張している中、それでも薬のお陰で何とか睡眠をとっている。」というのが現状ではないだろうか。

最後に、誤解の無いようにハッキリと言っておく。
「金縛り」は決して、一般に語られている様な霊的な現象では無い。
ある種の脳の緊張状態が引き起こすもので、「脳内の何処かのバランスが崩れているだけ」と言うのが、真相なのだ。


そうか、私が、この「金縛り」を初体験したのは、私の父方の曾御婆さんがなくなった日に、棺桶が置いてある真上の部屋で寝ていた時だった事を、今、これを書いていて思い出した。
あの時も、夜に目を覚まし、「下の部屋の棺に曾御婆さんが眠っているんだな。」と想像した時だった。
足元の方から、曾御婆さんの顔が浮かび、こちらの方へやってくる。
私は、怖くなって、隣に寝ている父親を起こそうとしたのだが、体が動かない。
体が動かないのに、顔も動かせていなかった筈なのに、横にずらりと、何事も無く寝ている家族の様子をビジョンとして覚えている。(これも、勝手に想像した事を、「見た」と誤認していたのだと思う。)
足元に浮かんだ曾御婆さんの顔は、それこそ“人魂”と言うに相応しく、青白い火の玉のような感じで、小尾を伴いながら、私の体の上を通り過ぎていった。
通り過ぎた後、これまで「怖い」と感じていた心が、急に「安堵」に変わった事を、今でも鮮明に覚えている。
その「安堵」を覚えた時には、「金縛り」も解け、隣の父親を起こそうと思えば出来たのだが、何故だか「別に怖がる物でも無いんだな」と言う充実感が胸を覆っていたので、そのまま再び、何事も無かった様に、私は眠りに就いた。
こう言う書き方をすれば、やはり「霊的な…」と解釈する人が多いのではないだろうか。
実際、後々、この話を母にした時は、そんな方向で捉えているようであった。
しかし、私は、当時からそのような解釈は疑っていた。
なにせ、その事象が発生する前に、私は、「下の部屋の棺に曾御婆さんが眠っているんだな。」と想像していたのである。
何の脈絡も無く発生した事象のなら「霊的な…」なんて解釈をしたかもしれないが、「全ては私の想像の中」と言う事で、凄く納得していた。

実際、肉体的に非常に疲れたときなどは、「金縛り」になり易い。
これは、肉体疲労で体が動か無いが、ひょんな事で意識だけが目を覚ましてしまうのだろう。
昨晩で言えば、私の場合、緊張状態が「意識だけの目覚め」を引き起こしたのだろう。


さて、今日は、ちゃんと寝られるかな・・・。
(寝てる寝具も良くないのかも。布団は埃が部屋に溜まるので持っていない。寝具としては、座椅子と寝袋を使用している。これのせいだろうか・・・?通販で売っている、エアベットが欲しいな・・・。そう言えば、テレビショッピングで売っていた10万円を切るマッサージチェアを、昨日衝動買いしそうになった。マッサージチェアを持つ事は、私の夢・・・。この夢は、「作家」になるよりは、簡単に叶いそうな夢。まあ、今のバイト生活じゃ無理だけれど。)


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