鬱病生活記

 表紙
 目次
 はじめに
 第一章

 第二章

 第三章

 第四章

 第五章

 第六章

第四章 社会復帰への階段

1.ニート脱却へ

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10月16日(金) 21:00頃

【カウンセリングはホストクラブ】

私は、毎週金曜日、カウンセリングを受けている。
今日も、カウンセリングがあった。
そして、今回のカウンセリングを受けて、ある感覚が芽生えた。

それが、「カウンセリング」と言うのが、今の私にとって「ホストクラブ」のような役割になっていると言う事。

それは、カウンセラーの連想中に使われた形容詞「セクシュアル」と言う言葉から端を発した。カウンセラーは、私の話への何度目かの介入の際、「今後、カウンセリングを続ける中で、私とあなたの間にいろんな関係が出来てくるでしょう。例えば、セクシュアルな感情も…(以下省略、と言うか忘れた。)」と言うような発言をした。
それに対して私は、「何故、カウンセリングを受けるのか」について、率直に答えた。
「私の今の経済状況で、カウンセリングを受けると言うのは、非常に酷な物である。カウンセリングの為に使用する時間や費用を考えると、アルバイトから得られる収入は半減してしまう。そこまでして何故カウンセリングを受けるのかと言うと、一つは、『これで私の今後の人生に対する悩み、特に厭世観が排除される事を期待し、自己投資をしている。』と考えている事、また、もう一つは、『単純に、セクシュアルにあなた(カウンセラー)に興味を抱いている。』と言う事だけ。」

つまり、私は、ホストクラブに通う感覚で、カウンセリングを受けている側面がある。
ホストクラブでワイワイ弾けて楽しむ様に、私は、このカウンセリングで自由奔放に他の人には話せないような話題をカウンセラーに投げかけて楽しんでいる。
しかも、相手が異性である事を意識しながらそれを何処かで弄んでいる。或いは、弄ばれて快感を得ているのかもしれない。

カウンセラーは、そんな私の答えに、「ふ〜ん、それは初めて聞きました。」と淡々と答えた。

そんなやり取りを経て、私はカウンセラーに尋ねた。
「先生、このカウンセリングを続けていて、成果は出ると思いますか?」

カウンセラーは、いともあっさりと「効果はあります。」と答えた。


私は、カウンセリングに対して、根拠の無い望みと、論理的に考えられる疑念を覚えた。

望みとは、このカウンセリングが私にとって良い効果をもたらす事。
疑念とは、正に「ホスト」に貢いでいるだけではないかと言う事。

私は人を見る目が無い。
もしかすれば、カウンセラーの金銭欲だけの詐欺に引っかかっているとも考えられる。
しかも、人として一番惑わされやすい性差を利用した巧妙な詐欺に。

そして、どうやら、私は随分と他人を疑る質らしい。
それでいて、随分と他人に従順らしい。


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