鬱病生活記

 表紙
 目次
 はじめに
 第一章

 第二章

 第三章

 第四章

 第五章

 第六章

第四章 社会復帰への階段

1.ニート脱却へ

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11月29日(日) 0:30頃

【手応えの無いカウンセリング】

前の金曜日(11/27)に行われたカウンセリングは、実に手応えの無いものだった。
幾ら「今が大変な時期」と言えど、流石に「私は詐欺にあっている」と思えて仕方が無い。
50分で8千円。
今の私にとって、8千円は日給より高いのだ。
ハッキリ言って、馬鹿らしい。
もう止めてしまっても良いかもしれない。
そんなカウンセリングの内容で、覚えている事を記す。

カウンセリングの始まりから数十分間、私は「だんまり」状態だった。
それと言うのも、私はとても疲れており、話をする事さえ億劫だったからだ。
私が疲れていたのは、前日の木曜日、この所気になっていたパソコンの設定を始めてしまい、予想外のトラブル発生で、寝るのが遅くなっていたからだ。
最初は、カウンセリングに行く事さえ止めようとも思った。
しかし、変な義務感から、私はカウンセリングへ行った。

カウンセリングの場では、私はカウンセラーに全ての進行を委ねている。
私が黙っていれば、話すように促すだろう。
または、私が黙っている事自体に、何らかの意味を発見するだろう。
そう考えているから、カウンセリング室に入ると直ぐに、席について、ちょっとした体操をしながらリラックスしていた。
その結果、私は「だんまり」していたのだ。
喋るのが億劫だったから、疲れていたから、単純に寛いでいた。

そんな沈黙の間、本当は眠れたら良かったのだが、今の私にその能力は無く、目を瞑りながら、廊下から漏れ聞こえてくる雑音に気をとられていた。
暫くすると、カウンセラーが唐突に私に尋ねた。
「今、何を考えていますか?考えている事を喋ってください。」
私は、疲れているので喋りたくなかった。
第一、喋るほどの事を考えていなかった。
しかしながら、カウンセラーから「何を考えているか」と問われたからには、何を考えていたか考えなければならない。
そうして、考えていた事を考えた。

まず、私は、廊下の雑音から廊下の状態を想像していた。
この日の廊下はやたらと賑やかで、騒がしいほどだった。
それと対比させて、このカウンセリング室は静かだった。
カウンセラーの存在が感じられない。
それに気付いた私は、「このカウンセラーは存在感を消すの旨いな」と考えていた。
そう、それ位。
口に出すほどの事は、何も考えていないように考えられた。

何か答えなければいけない、しかし、喋る程の事は考えていない様だったし、何より喋る事が億劫だった。
そんな狭間の状態で、私の口から出たのは、「あぁ・・・」と言うため息染みた返答にもならない返答。
そうして、暫くの間、また「だんまり」状態となった。

次にカウンセラーが介入してきたのは、そんなに間が無かった。
「何故、喋らないのですか。喋らない事で、この場を無意味なものにして、私を困らせようとしているのですか?」
唐突に、カウンセラーは私に問うた。
私は、この質問を聞いて呆気に取られ、更に喋る気を失った。

しかし、このままカウンセラーに誤解されている状況と言うのもマズイと思い、気を振り絞って私は答えた。
「億劫だ・・・。」
素直に、私の状態を、簡潔に説明したつもりだった。

カウンセラーは、「何故、億劫なのですか?」と聞く。
当たり前と言えば当たり前な質問なのだが、私は、単純に面倒臭さを覚えた。
「それを話してどうするのか?」と考えていたが、仕方なく前日の事を説明した。

カウンセラーは、「何故、前日にパソコンの設定をしたのですか?このカウンセリングの前日に、その様な行為を行った事に意味があるのではないですか?何かこのカウンセリングに抵抗を感じているのではないですか?」と、立て続けに質問して来る。
馬鹿らしい・・・。
このカウンセラーは、人の状態、心のあり様について、全くもって洞察が浅く、理解が無い。
少なくても私には、こう捉えられた。
また、カウンセラーに「焦り」の色を感じた。

更にカウンセラーは続ける。
「貴女は、この場をどの様に考えているのですか?2人で一緒に遣って行く気が無いのですか?」

「2人で一緒に」
その言葉が、嫌に耳につく。
違和感を感じ、カウンセラーの態度の矛盾に気付いた。

私は、カウンセラーに対して失望し、仕事のつもりになって答えた。
「先生、私は単に疲れているだけだし、この場は先生に任せているつもり。先生はプロなんだから、この場をそれなりに取り仕切れば良い、私がどのような状態でも。第一、『2人で一緒』とはどういう意味ですか?こんな人工的に作られた異常な状態で、『一緒』と言うような気持ちになるのですか?私は、自身の事を全て先生に話している。しかし、先生について、私は何も知り得ない、知る事が禁止されている。そんな状況で、貴方と『一緒』なんて感覚が持てる筈無いでしょう。」

するとカウンセラーは言う。
「貴女は人に『自分を理解さてた』と言う経験をしていないのでは無いですか?」

本当に、馬鹿な事ばかりである。
何の為に、事前に私は自身の生い立ちをカウンセラーに話していたのだ。
流石に、少々の怒りと、相当の嫌気が起こる。
呆れながらも、私は答えた。
「先生、私は子供の頃は友達の多い方でした。一緒に感覚を共有してきた友達は、多くいました。先生が単純に想像しているような『さみしい』生い立ちではありません。それに、まず、『自分を理解された経験』なんて言いますけどね、『自分』を意識するような年頃になった時から、『自分』は『自分』でしかない事に気付いていく。言い換えれば、『自分を他人が完全に理解する事』は無い事に気付いていく。だから、私には、当然の如く、『自分を理解された経験』なんてある筈も無い。そんな事が起こる筈は無いと考えているからして・・・(省略)」


こんな調子のカウンセリングだった。
その後のやり取りも覚えているが、書く程の事ではないので、省略する。

とにかく、私は「人がどの様なものか、心がどの様なものか」、これについてカウンセラーに説明するだけ。
全く、このカウンセラーは腕が悪い、人の心の事を知らな過ぎる。

今度の水曜日は診察の日。
ちょっと、主治医に愚痴を言ってみよう。

そして、次回のカウンセリングでは、カウンセラーの態度を試し、カウンセリングの継続について判断しよう。
1年以上の付き合いを見込むか、止めるか。


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