第四章 社会復帰への階段
1.ニート脱却へ
12月8日(火) 21:40頃
【カウンセリングの終わり】
前回のカウンセリングで、この行事は終わりとなった。
ここでは、その経緯を簡単に記す。
また、カウンセリングの終わりと共に、この項(1.ニート脱却へ)も終了させてもらう。
まず、カウンセリングが行われる前の水曜日(12/2)に、私は隔週の診察へ行った。
この時の診察は、何時もと違い、私は何気ないお喋りで終わらすつもりではなく、また結果的に、そんなお喋りをする暇も無かった。
主治医には、これまでのカウンセリングについて感じている疑念を正直に伝えた。
一点は、効果の問題。
もう一点は、お金の問題。
診察室に入るや否や、私は主治医を問い詰める。
「先生、精神分析の知識ありますか?」
主治医は、いつもと違う私の雰囲気を察してか、いつもより真顔で答えた。
「まあ、多少はね。」
「先生、カウンセリングってどう思います?何だか、今のところ騙されているような感覚で、こんなのにお金を使うのはどうかと悩んでいるんですよ。」
「確かに。僕も精神分析は学んでみたくて、お偉いカウンセラーの講演とか聴きに行くんだけど、大半は途中で退席しちゃうね、馬鹿馬鹿しくって。」
「はははっ、やっぱり…。そうそう、河合隼男先生は知ってますか、ユング派の。あの先生の本を読んだんですけど、あの人は、立派な『精神分析家』だと感じましたけど。確か、なんかの会長職に就かれてましたよね。」
「知ってるよ。日本では、その世界のボスだったよ。数年前にお亡くなりになったけどね…。」
河合隼男先生は死んでしまわれたか…。
私が手にした本は、2002年のもの。数前にお亡くなりと言う事は、あの本が出てから、数年と言う事か…。
やはり、人の心の有り様に、その真意に近づけば近づく程、人は死に近づくのだろう。
私は、気を取り直して主治医に尋ねた。
「先生、私は『精神分析的心理療法』の中の『自由連想』と言う技法で、カウンセリングを受けているのです。この『自由連想』と言う方法は、S.フロイト由来のもので間違っていないですよね。」
「そうですね。『自由連想』は、フロイトの系統のものです。」
「そうなると先生、私のカウンセリングについてですが、どうも効果に期待を持てないのです。前回のカウンセリングでは、カウンセラーが『2人で一緒に』なんて物言いをするんです。先生もご承知の通り、私は簡単にですが、精神分析の事を学習してみました。それで、この『自由連想』と言う方法は、精神分析学の領域である事を知っています。だから尚更、『2人で一緒に』と言う物言いが気に食わないのです。だって、精神分析と言うのは、この『自由連想』と言うのは、私がどんな反応を示したとしても、その中で分析を行っていくものですよね。例え、私が『だんまり』していたとしても、分析家は、それにどの様な意図があるのか探るものですよね。だから、私は全てをカウンセラーに任せて、気の向くままカウンセリングに望んでいたのです。そう、『まな板の上の鯉』の気持ちで、その場にいたのです。ですから、『2人で一緒に』なんて言われても、全くピンと来ないどころか、カウンセラーの分析家としての腕を疑うしか仕様が無いのです。」
途中で口を挟みたがっていた主治医は、私の陳述の後、即座に答えた。
「別にカウンセラーの弁護をする訳じゃないけれど、否、カウンセラーの弁護だな。その『2人で一緒に』って言う気持ちは、僕も分かるよ。この治療(薬物療法)だって、患者に治ろうとする姿勢が無ければ、医師の方も遣り辛いんでだよ。カウンセラーが言いたいのは、その、つまり、『2人で一緒に』と言うのは、『一緒に治して行こうと言う気持ちで臨んで欲しい』と言う事だと思うよ。」
成る程、言われてみればそうかもしれない。
カウンセリングに臨むにあたって、私は、「まな板の上の鯉」ではダメなのかもしれない。
でも、そうであれば尚更、私は、カウンセラーを「精神分析家」として信頼できる人物か否か判断しなければならない。
そんな事を考えながら、私は主治医に尋ねた。
「先生、でも、『臨床心理士』とか、その他のカウンセラーの資格を取る為のハードルって、『精神分析家』になる為には、低すぎると思いませんか?」
「確かに、『精神分析家』のハードルとしては低いね…。ところで、金子さんのカウンセラーは、他の患者にどんな事しているの?」
カウンセラーが私の事について主治医から情報を得ていないのと同じく、主治医もカウンセラーの事について余り詳しくは無いらしい。
これは恐らく、カウンセラーが、患者の余計な情報を得ないように病院内で振舞っている為だろう。
カウンセラーは、否、「精神分析家」と言った方が適当であろう、何とも孤独な職業らしい。
私は、そんな孤独な職業を選んだカウンセラーの事を思い浮かべつつ答えた。
「あの人(カウンセラー)が週に1度しかこの病院に来ないのは、先生もご承知ですよね。何でも、他の日は、日本でも指折りの精神病院で、統合失調症者相手に精神分析を行っているんですって。患者によっては、週に4日もカウンセリングをしているらしいですよ。」
「あれ、金子さんは、隔週でカウンセリングだっけ?」
「いいえ、毎週ですよ。だから先生、お金もかかるから、それに悩んじゃうんですよ。」
「そうか、毎週か…。それじゃあ、(お金が)高いのは痛いね…、確かに。最近のカウンセリングは、ロジャース派のものが主流で、大体、隔週で行われているんだけどね。…そうか、毎週か…、そうなると、あの人は本当に精神分析の人だね…。」
こんな診察の日が事前にあったから、より一層、カウンセラーの心構えを、私は試す必要に迫られた。
カウンセラーが悪い人で無いことは分かっている。
悪いどころか、他の人に比べたら、随分と真面目で信頼の置ける人物だと分かっている。
だからこそ、カウンセラーの腕が気になるのだ。
私は、それを確かめずにはいられなかった。
カウンセリング当日(12/4)、私はいつもよりかなり早く、病院に到着した。
カウンセリングが始まる10分も前、私は、カウンセリング室の前に居た。
カウンセリング室の前で、中から漏れてくる音に耳を澄ませ、室内にはカウンセラーしかいない事を確認し、私は態と時間前に部屋をノックした。
カウンセラーが扉を開き顔を出した。
私の姿を確認すると、軽く挨拶を交わした後、「まだ時間前ですので…」と言う。
私は、その反応で直ぐに事態を了解し、「融通が利きませんね。」とぼやきながら、カウンセリング室の前の椅子に腰掛けた。
カウンセラーは、カウンセリング室に戻り、時間が来るまで出てこなかった。
漸く時間になり、カウンセラーは、私を室内へ入れる。
私は、部屋に入るや否や、指定の椅子の横に立ったまま、堰を切った。
「先生、私は、今日、このカウンセリングを続けるか否か決めるつもりです。このカウンセリングで、費用に見合った効果が望めるか否か、判断させてもらいます。」
カウンセラーは、いつもの指定席へ座り、「まずは、座ってください。」と私に促す。
私は、「いや、椅子に座ると、何だか暗示に掛かったような気分になるので、このまま話させてもらいます。」と言い放ち、カウンセラーを気にせず、話を続けた。
「先生、私に、このカウンセリングは効果をもたらすのでしょうか。1年、これを行ったとして、何かの効果を私は実感するのでしょうか。また、自分を見つめる事は、この場でなければ出来ない事なのでしょうか。私は、このカウンセリングの場だけで生活しているのではありません。入院している身でもありません。それなりに、一般的な社会で生活をしているのです。1年も時間が経過すれば、このカウンセリングの場ではなく、他の環境要因によって、私は治るのではないでしょうか。何も、このカウンセリングを行う必要は無いのではないでしょうか。」
私の問いかけに、カウンセラーは沈黙した。
何かを考えているようであった。
暫く時間が掛かるだろうと思い、私は窓際へ行き、窓を開けてタバコを吸おうと思った。
私が窓際でブラインドを弄っていると、カウンセラーが「こっちへ戻って下さい」と言う。
私は、タバコを諦め戻りつつ、「本当に融通が利かないんですね…」と嘆いて言った。
カウンセラーは、「1年かどうかは分かりませんが…」と呟くので、即座に私は答えた。
「別に、私も1年と限定している訳ではありません。しかし、先生、じゃあ何年でしょう。2年ですか、3年ですか…。ところで先生、普通に考えて、このカウンセリング契約と言うものが、まともな物だと思いますか。」
私の問いかけの意味がカウンセラーに伝わらなかったようなので、私は、説明を加える。
「何年掛かるか分からない、そうだとしましょう。何時まで掛かるか分からないけれど、何時かは効果がある。効果があるから、それまで、カウンセリングに費やす時間毎にお金を払う。こんな契約が、今の社会でまかり通ると思いますか。何時出来上がるか分からないビルだけど、何時かは出来上がるから、それまで、ビルを立てるのに必要な人件費は払い続けてくれ。そういう契約なんですよ、このカウンセリング契約というものは。そして、そんな無茶なものだから、唯一のクライアントの権利として、『何時でも辞められる』事になっているのです。だから、私は、真剣に今、1つの辞め時を試しているのです。」
カウンセラーは、漸く私の言いたい事を理解し、答えた。
「まともな契約ではありませんね。…でも、そこに『希望』を持って欲しいのです。確かに、お金の事については、良く問題になります。他のカウンセリングでも、良く話題に上がります。」
カウンセラーの答えは、また、私の癇に障った。
「他のカウンセリングでも話題に上がる」とは、一体、どういうつもりなのであろう。
折角私は、「2人で一緒に」私に根ざした何かを探そうと試みているのに、カウンセラーは「他のカウンセリングの事」を考えながら、それらと対比しながら私を見ている事を露わにした。
私は落胆しながら答えた。
「先生、『希望』を持つ、なんて…。何の根拠も無しに、私にそう思い込めと言うのですか?それでは、単なるカルト教団と同じではないですか。ペテンと何も変わらない…。」
するとカウンセラーは、私の行動で分かった事があると言って、説明した。
「貴女は、枠に縛られるのが嫌なのですね。ですから、このカウンセリングのルールを破って行動する。そうやって、混乱させようとする…。これは、貴女が子供の頃にお兄さんに虐められた事が原因ではないのですか?」
もう、私は殆どこのカウンセリングに「希望」を持ってなくなった。
それでも私は答える。
「先生、解釈が単純過ぎませんか。そんな事、誰でも想像できますよ。分かりました、私が兄に虐められた経験で、何かが抑圧されているとしましょう。では、その抑圧されたものを解消するにはどうしたら良いのですか?私がされたように、私も誰かを虐めればよいのですか、誰かを殴ったり蹴ったりして憂さ晴らしをすれば良いのですか。そうしたい欲求があるから、枠を乱して誰かを困らせていると言うのですか。…先生、私はちっともそんな事は考えていませんよ。私は誰かを虐めたいなんて思っていません。私は虐められた経験があるからなのかもしれませんが、それで余計になっているかもしれませんが、とてもじゃないけど誰かを虐めて楽しめる人間では無いのです。楽しむどころか、そんな事はしたくないのです。そんな事をしても苦しくなるのが目に見えてますから。…それに先生、私が今こうしてこの場を乱しているのは、真剣にこのカウンセリングが効果のあるものかどうか、カウンセラーが必要なのかどうか考えているだけなのです。私に忠実になって。…実際、私はカウンセラー抜きで、一人で自分の考えている事を喋り、それを録音して聞く、そんな事をやってみたんです。S.フロイトが言う事には、『そんな事は意味が無い、分析者がいて始めて意味がある。』というのも知っています。それを承知で、それでも試してみたんです。非常に疲れました。そして、そんな事で分かった事があります。私は、実は、科学信仰者、もしくは、論理的思考信仰者であった事に気づいたのです。しかし、それに気付いたものだから、もう、それすら信仰できなくなってしまった。私は、私を見つめているのです。…先生、下手に私の精神分析なんかを行って、私が精神分裂にでもなってしまったらどうします。」
流石に疲れたのか、私は、漸く指定席に腰掛けた。
カウンセラーは冷静に答える。
「これは、精神分析ではありません。精神分析的心理療法です。」
私にとって、そんな違いはどうでも良かった。
そんな私を尻目に、カウンセラーは続けた。
「生き辛くありませんか。ここは、その生き辛さを解消する場所なのです。」
私は、私を見つめながらカウンセラーに話して聞かせた。
「先生、何を今更聞いてくるのですか。生き辛いに決まっているでしょう。出来る事なら、苦しまずにポックリ死ねたら良いと、今でも思っていますよ。例えば、交通事故か何かで即死できたら幸せでしょうね。でも、それが出来ないから、私は、何度も言ってきたと思いますよ、この場で、私の中にある『厭世観』、これが無くなればさぞ生き易くなるのだろうと。初めから、そんな事は分かっています。だからこそ、このカウンセリングで、この『厭世観』が取り除けるかどうかを考えているのです。」
こんなもどかしいやり取りが続き、カウンセリングの時間は消えていった。
暫くの沈黙があった後、私は徐に、最後の「希望」を胸に、カウンセラーに尋ねた。
「先生、あなたは、どういう姿勢で、このカウンセリングに臨んでいますか?」
カウンセラーは、直ぐに答えた。
「貴女の場合は、週に1度ですから、他の患者さんよりは、変化が激しい。他の精神分析の患者さんは、もっと多くカウンセリングを行っていますから。貴女は、『精神分析的心理療法』で、他のもっと頻繁にカウンセリングを行っている患者さんは、『精神分析』ですから…」
私は、カウンセラーの説明を聞きながら、いつも机の上に置いてある時計を目の前置き、残りの時間を換算していた。
カウンセラーの講釈が一通り終わった頃、残り時間は既に5分を切っていた。
私は、カウンセラーに呆れながら言った。
「先生、先程、私があなたに聞いた事は、そんな事ではありませんよ。」
カウンセラーは不思議そうに答えた。
「『精神分析的心理療法』と『精神分析』の違いを聞いたのではないのですか?」
「先生、私は、確か、もっと漠然とした質問を投げかけたのです。どんな心構えで、あなたが、このカウンセリングに臨んでいるかを…。先生は、まだ先入観を持っている。私は先生を信頼しています。しかし、この場を遊びにする訳には行かないのです。遊びにしては、お金が掛かりすぎるのです。先生は、もっと経験が、体験が必要でしょう。…今の状態では、とても、このカウンセリングに信頼は置けない、納得は出来ない。」
カウンセリングは終了し、何事も無かったように、会計手続きに入った。
私は、用意していた8千円を机の上に投げ出した。
カウンセラーは、領収書を書きながら、私の最後の言葉に答えるかのように言った。
「それでは、カウンセリングは中断しましょう。」
私は、領収書を受け取り、帰る姿勢で聞いた。
「先生、中断って…。じゃあ、再開はあるのですか?」
カウンセラーは、私の顔を見ずに小さな声で答えた。
「分かりません…。」
私は、「お疲れ様でした」と言って、部屋を出た。
机の上のお金は、そのままだった。
下手に人の心の事など考えるものではない。
まして、なまじ「精神分析家」になどを志すものではない。
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