第五章 鬱病再発生
1.再入院
【苦しいD棟での生活】
目出度く入院となり、私は病棟へと連れられた。
廊下を進む中、「あのD棟には入りたくない」と願った。
D棟とは、以前入院していた病棟で、最も症状の激しい患者達が居る所。
そんな願いとは裏腹に、ケースワーカーは私をD棟へ案内し、入院手続きの説明を始めた。
去年入院していたので、殆どの事は知っている。説明を聞くまでも無い。
ケースワーカーが説明を続ける中、私は「D棟で説明を受けているだけで、入院は別の病棟だ」と藁にもすがる思いをしていた。
通り一遍の説明が終わり、ケースワーカーは私をベットへ案内する。
ベットはD棟の一室だった。
私は一人になりたかった。
誰にも構いたくなかった。
全ての事が煩わしかった。
しかし、この病棟でそれは許されない。
幾人かの患者が、私へ興味を示している。
私は彼女らとの接触をなるべく避けた。
極力ベットから離れず、患者達との関わりを絶っていた。
そんな状況でも、周囲の異常さが私を虐める。
怒鳴る者、喧嘩をしている者達、うるさい音楽プレイヤーを使っている者・・・。
そうした騒音が心を締め付け、ベットに居ても私はひとりになれない。
そのうち、空気を読む事を知らぬ者が、私へ話しかけてくる。
相手にしたくないのだが、私は生返事を返す。
隣のベットの老人は、「助けてくれ」と言う。
誰も相手にしないので、仕方なく私が相手をする。
どうやら、ベットから起き上がれないらしい。
私は介護士の如く、彼女を起こす。
何故私が入院までしてこんな事をしなければならないのか。
看護士やケースワーカー達は、患者達を見ようとしない、回りの騒音を聞こうとしない。
患者一人ひとりの様子を分かっていて相手にしない。
相手にしても何も解決せず、仕事が増えるだけだから。
患者は人として扱われていない。そして、私もその一人。
唯の動く物として、事務的に扱われる。
結局、こんな環境が10日程続いた。
私は自身を正気に保つ事で精一杯だった。
途中、面会に来た父親に私は「気が狂いそう」と訴えた。
D棟内では気が休まらないどころか、発狂さえしそうだった。
私の訴えを聞いた父は、「病院に相談する」と言い、看護室へ詰め寄った。
私は、「看護士では相手にならない」と父を止めたが、父は「本人が言うのと、親が言うのとでは違う」と言って聞かなかった。
ある看護士が対応した。
始めは明らかにやる気の無い対応であったが、私が「これまで入院してから1週間以上も診察が一切無い。何の為に入院しているのか。」と詰め寄ると、漸く人を相手にする態度に変わり言い訳を始めた。
この交渉により、入院から10日後、主治医の診察が決まった。
尤も、この交渉が無くてもその日が診察日だったのかもしれない。
診察の際、私は主治医に「D棟は辛い」と言い、主治医も「そうでしょう」と認めた。
この結果、漸く私は環境の良いB棟へ移動する事になった。
<前へ> P.142
<次へ>