鬱病生活記

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 目次
 はじめに
 第一章

 第二章

 第三章

 第四章

 第五章

 第六章

第三章 鬱病者としての日々

2.調停待ちの日記

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8月1日(土) 25:30頃

【ゆとり教育は駄目なのか?】

日記を書き始めようと、21時頃パソコンの電源を入れるも、動かない・・・。
結局バラバラにして、もう一度組み直したら元に戻ったのだが、どうもCPUの熱暴走が原因らしいと突き止めるまで時間がかかってしまい、今頃これを書くに至っている。

ちょっと、昨日考えていた事の続き。
人が未知の対象物に安心感を得る為には、「一緒に長くいて経験として安全な事を体感する」という方法、これを“経験的認識”と呼ぼう。
もう一方の、「他人から情報として『安全だ』と教られる」という方法、これを“知識的認識”と呼ぼう。

現代は、情報化社会。自分が知っていると思っている事の大半は、“知識的認識”によるものである。自分の体は一つしかないのだから、“経験的認識”を得る事は容易では無い。
時に、人は“知識的認識”と“経験的認識”の結果が異なる場合に遭遇する。その場合、人それぞれどちらかを優先するか、どちらも疑ってみるか、対処法は色々あろう。
“知識的認識”と言うのは、科学の証明の方法としては、“演繹法”と呼ばれる物に相当するだろう。これまで数々の科学者達が解明してきた原理に基づき、新たな理論を唱えるやり方だ。
反対に、“経験的認識”とは、“帰納法”と言う事になる。とにかく、今存在する物を集めて、共通点や相違点を推し量り、何か一貫性のある事柄を唱える。

これらは、人間が成長するにあたって、どちらも必要不可欠な要素だ。体験の基づかない“知識的認識”だけあっても、「猫に小判」、「豚に真珠」の状態になるだけである。
逆に、“経験的認識”は、こと自分自身だけの狭い範疇の考え方になりがちなので、また、自身で体感できることなど、それ程多くないので、これだけでは世界が広がらない。

つまり、両方バランス良く吸収する必要があるのだ。自分が何かの経験をした時に、「どうして?」と考えたとする。すると、怠け者でなければ、“知識的認識”によって、その事をより深く理解するように努める。
逆に、先に“知識的認識”を得ていた場合でも、自分がそれに似た体験をした時、自己の“体験的認識”と、今まで持っていた“知識的認識”を合わせて、より深く、その物事について洞察するに至る事だろう。
つまり、どちらもバランス良く必要なのだ。

昨今、「ゆとり教育は失敗だったから、詰め込み教育に。」と言う方向にベクトルが動いているが、どちらにせよ、“体験的認識と”と“知識的認識”のバランスが悪ければ、パーである。
そもそも、今は失敗だたと言われている“ゆとり教育”だって、その思想の根源は、「もっと良く遊び、自分で体験的学習をして欲しい。」と言う事から始まっているのだろう。(私の勝手な推論だが。)それの真の理念を理解せず、下手にマニュアル化された教育指導要領を書かなければいけない物だから、現場では当初の理念とかけ離れた運用方法をしてしまい、今は、失敗だと言われているにすぎない。


さて、ちょっと日記的話題に触れておく。
昨日は診察日で、先生に「元同居人の彼が直接来て『示談したい』と言う事があった。」と報告すると、興味深げにあれこれ聞いてくるのであったが、どうも、昨日は忙しかったらしく、主治医は「もっと聞きたいんだけど、今日は時間が無いんだよ。」と言うので、私は、殆んど状況を話さずに、つまり、確信的な相談は出来ずに終わってしまった。
まあ、来週の診断の時にでも彼への返答は間に合う事を頭に入れてあったので、「時間が無いなら。」と思い、私が作った音楽のMP3をCDで渡して、「じゃあ、話の続きは来週お願いします。」と主治医に伝え診断は終わった。
ちなみに、前回も今回も脈拍を計ったのだが、97〜98で、前ほど高くは無い。あんまり気にするものでもないか。

その日は、いつも通り買い物をして帰り、テレビを見たりゲームをしたりして、また、駄目な時間を送った。
深夜に、この日記を書いた後、音楽作成をしようと考えていたのだが、何かパソコンの設定で気になるところがあって、それらを調整していたら、朝になってしまい、それは出来なかった。
寝たのは、結局、5時頃だった。

そして、今日起きたのは、9時頃。ごみ捨ての日だったが、もう、時間オーバーでゴミは捨てられず、床から起きては、アイスを食べ、また床に戻る。今日は、非常にだるくて、こんな事を何遍も繰り返しながら、ようやく意識がハッキリしてきたのが、15時過ぎだった。
とにかく、体が重く、何もやる気が出なかったので、『デパス』を飲んだ後、競馬番組を付け、ボーッとしていた。次第に、ゲームぐらいはできそうなので、気ままにゲーム機にスイッチを入れ、大分その無駄な時間に浸っていた。
ゲームから解放されたのは、21時頃。お腹が空いていたので、餡パンを食べ、「さて、日記でも書くか。」と思ってパソコンに電源を入れたら、冒頭に書いた通り。数時間かけて、パソコンの手術を行う羽目となった。

手術も一通り終え、夜の薬を飲んで、これを書いている。

明日は、「鬱病者の社会復帰」をテーマにした講演会がある日だ。まだ、スケジュールすら立てていないので、これから寝る前に確認する事になると思う。
何か良い収穫があれば良いとの期待は5%くらいしか無いが、何とか行くようにしたい。
表に出る為に。


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