第三章 鬱病者としての日々
2.調停待ちの日記
8月5日(水) 14:30頃
【私による私の診断】
私の状態は何なのだろう。
まず、私が真正の『鬱病』でない事は確かだ。過去の出来事により、一時的に『うつ状態』になったのか、『うつ的気分』になったのか、それが問題の焦点となる。
『うつ状態』まで進行しているのならば、これからも慎重に考えた方が良いのだが、単なる『うつ的気分』に襲われただけであるならば、今の状態は単なる“甘え”になるので、強引にでも動き出さなければいけない。
私の主治医によると「『うつ状態』にしては治りが早すぎる。」という見解で、当初は『アスペルガー症候群』の方に重点を置いて私を観察していたのだが、診察を重ねるうち「アスペルガーでも無い。」との見解に落ち着いている。
こうなると、主治医の見解は、「一時的に起こった極度の『うつ的気分』。」と言う事なのだろうと推測する。
私は、これまでの自分を振り返ってみた。
確かに私は熱中すると凝ってしまう、云わば『凝り性』なので、依存していた彼に振られて(しかも、他の相手を作られると言う形で)、極端に『うつ的気分』になり、大量服薬と言う極端な行動をしてしまったのかも知れない。
でも、気になる事がある。社会生活を送る上で障害となる、
この『厭世的人生観』は、どこから来るのだろうか。私は、親友以外に、あまり本音を言う事が出来ていなかったように思う。そして、私と親友になるのは、皆、幼少期の家庭環境に欠落があった人物ばかりである。そう考えると、
やはり『アダルトチルドレン』の気配を感じ取ってしまう。私の主治医は、『アダルトチルドレンの人が成人すると、妙に周りの環境に溶け込む事が出来る。自分の感情を犠牲にして、周りの人達に気を遣うから。』と言っていた点だけは、私の過去の様子と異なるのだが。
それともう一つ疑ってみる必要があるところは、『仮面うつ』についてである。一昨日この場で紹介した、野村総一郎さんの著書によると、『仮面うつ』とは、頭痛や倦怠感を訴えるものの、身体に異常は無く、診察時の話しぶりからはうつ的症状も診られない。また、身体症状を訴える際は、合理的に症状を説明出来るのだが、自己の感情表現に乏しいと言う。しかし、よくよく観察(診断)を重ねて行くと、苦しい本音を打ち明け、「実は鬱なんだ。」と判明するケースの事だと言う。また、この『仮面うつ』または『仮面うつ病』とは、医師側が勝手にそう呼んでいる俗称で、医学的にちゃんと位置付けられている病名では無いとの事。
しかし、野村総一郎さんの著書を確認したが、私は『仮面うつ』では無いだろう。
『仮面うつ』の人は、身体症状、例えば、頭が痛いとか肩が凝るとか、そういった症状が出て、最初は内科等に行く事が典型例だと言う。
私は、何処も痛くも痒くもない。
ただ、気分が乗らないだけで、何事にもやる気が起きないだけだ。
“甘え”ている感が強い。
生きる事に目的を持って、行動すべきだと頭では分かる。
しかし、心の奥に根ざしている『厭世感』これが曲者だ・・・。
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