第三章 鬱病者としての日々
2.調停待ちの日記
8月7日(金) 10:30頃
【今の日本は平和ボケ】
昨日、『五時に夢中!』で、「今の若者(新入社員)は、マルチタスクが出来ない。出来ない仕事は直ぐに拒否する。」等という記事が紹介され、それに対して、コメンテーターがバッサリ言った。
「今の親の世代が、終身雇用制度の中、右肩上がりの高度経済成長期で、のほほんと仕事をしたていたのだから、そんな環境で育てられた子供たちにどうこう言ってもしょうがない。まだ、その若者達は、精神年齢が10代位なんだから、これから職場で苦労するなり、仕事が嫌になり辞めたければ辞めて、それなりのどん底暮らしを経験するなりして、成長しなければいけない。」との旨の事を言って、バッサリと切り落とした。
私も、「若いうちの苦労は買ってでもしろ!」と言う格言(?)が忘れされれているこの日本社会、「平和ボケしている。」と言うのが専らの見解だ。
ちなみに、毎年、毎年、新入社員が入る度に、「近ごろの若者は・・・」とボヤク輩が出てくるが、これは、今に始まった事では無い。明治時代だって、江戸時代だって、年長者が若者に同じようなボヤキを言っていたそうだ。
高度経済成長期の時は、日本国民全体で「経済を活性化させよう。」と一丸になり、世界でも稀に見る急成長で、敗戦国にも関わらず、日本は、有数の経済大国となった。しかし、今、日本は目標を失っている。
中国のある人物が昔、こんな事を云ったと言う。
「1年で利益を得ようとするなら、穀物を植える。10年で利益を得ようとするなら、樹を植える。100年で利益を得ようとするなら人を育てる。」
能力主義、成果主義、と言うのは、まあ簡単に言えば「任務を与えるから成功させよ。」と言う物で、云わば「プロジェクト」なのだが、プロジェクトと言う物には達成期日が設定される。今、世の中のサイクルは早くなり、各企業で行われるプロジェクトも、長くて数年(まあ、せいぜい十数年)、短い物だと数か月、なんてものまである。そう言うプロジェクトを成功させる者が、「仕事の出来る人」である事は間違いないが、今は、それに傾倒し過ぎている。「プロジェクトを成功させる為には・・・」と言う思考に偏り過ぎて、100年後の未来を見据えていない。
そう言えば、養老孟司さんの有名な著書『バカの壁』に、こんな様な事が書かれてあったと記憶する。「戦後は、日本国民“経済成長”で一丸となっていたが、今はそれに当たる物が無い。もしかしたら、“エコ”と言う思想が、世界的に広まり、今後はその方向にベクトルが向くのではないか。」(飽くまでも、記憶の範囲なので、ちょっと意味合いが違うかもしれませんが。)
“エコ”の思想が広まって、世界がそれに向かって行けば良いが、如何せん、今の先進国は経済主義的思想をベースとしている。“エコ”とは言いつつ、単なる金儲けの道具にしか使っていないような会社だって、いくつもある事だろう。(勿論、100年先を見据えて、本気で考えている経営者が居るとは思うが。)
今月末、衆議院の総選挙があるが、どこの政党も100年先を見据えているとは思わない。元総理大臣の安倍晋三さんが「教育改革」を声高らかにしていたように思うが、結局、自分本位の余命短い政治家さん達が、1年先の利益ばかり求めて、右往左往している間に、そんな話も何処かへ行ってしまった。
民主主義なら、結局、政治家は国民の鏡。政治家の質が落ちているのは、それを選ぶ、我々日本人の質が落ちているからに他ならない。我々国民が、1年先の利益ばかりを追い求めるので、それにペコペコして政治家はすり寄って来る。民主主義も、そろそろ腐敗し始めているのではないだろうか・・・。
昨日は、1時頃寝たと思うが、何故か3時頃に目が覚めた。一服してアイスを食べた後、音楽を聴きながら、また眠りに就いたが、今度は6時半頃に目が覚める。結局それから寝る事は出来ず、マットや座布団を天日に干し、掃除機をかけたりして過ごしていた。朝のテレビ番組はろくなものが無いので見る気もしないし。
そして、遂にやる事が無くなって、これを書いている。今日は、診察の日だから、その結果について書こうと予定していたのに。診察の話は、明日のネタにでもしよう。
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