第四章 社会復帰への階段
2.思想
10月16日(金) 10:00頃
【人の年輪】
私は、暇もあるせいか、酷く思考をめぐらせている。
この節(2.思想)では、この思考の一端を、思いついたままに、それでいて、ページ毎にある主題を持って書きたい。
だからこの節の内容は、私の“鬱病”とされている状態とは関係が無く、また、そうした状態に直接的に影響を及ぼさない物となる。
よって、時間軸としては前節(1.ニート脱却へ)と並行しながらも、その主題は普遍的なものとなろうから、節を分けて記す。
(本当は、新章として、このホームページの内容とは直接関係の無い部分に記したいのだが、ホームページの構成を変えるのが面倒臭いという理由で、この節に綴る。或いは、この思想こそが、私の現在の状態を象徴するものであるからかもしれないから。)
さて、人が年を取るとは、一体どのような事なのであろう。
私は、現在、32歳。
余命を考えれば、まだまだ若年。
それでいるからこそ、この様な事に思いを廻らせるのかもしれない。
木と同じように、人も年を重ねるにつれ、幹が太くなる、根も広がる。
(ただ、これまた木と同じで、環境によっては、根を張る領域も限られ、成長も押し留められているのかもしれない。)
人は、年を重ねる度に成長する。
私は、今、“成長”と言う言葉を使ったが、これが適切かどうかは分からない。
場合によっては、“退化”や単なる“変化”なのかもしれない。
何れにしろ、人の形成にとって、何らかの影響がある事に違いは無いから、とりあえず、ここでは“成長”と言う言葉を使わせてもらう。
人が成長する事を、木の幹が年々太くなる事に例えて考えてみたい。
人は、年を重ねるにつれ、一回り大きくなる。
これは、単純に個体レベルの生命として、生から死までの過程で成長する事が運命付けられている為である。
しかし、私が考えたいのは、この成長が、周囲の環境によって大いに影響される点である。
持って生まれた、本質的な性質とは別に、環境要因によって、人がどのように変化するかについて着目したいのだ。
木は、大きくなると丈夫になる。深く根ざし、幹も太くなり、枝葉も広がる。
だが、丈夫になる事とは、単に硬くなる事とは違う。
木は、単純に大きく、硬くなっている訳ではない。
日の当たるところに枝葉を伸ばし、風に折れず、ある程度靡く様、しなやかに成長する。
人の幹が太くなる際、同じような性質の物を、単純に周りに纏わりつけるだけでは、丈夫にはなれない。
例えば、その人の芯が銅で出来上がっているとして、同じ銅を纏い、単純に太くなったらどうなるだろう。
それは、ある側面で見れば、「頑丈なもの」と言えるかも知れない。
しかし、ある時、外側を強く叩かれると、その刺激が、そのまま芯まで響く。
また、周りの温度が上がり、銅の融点まで達したら、いずれ芯まで融けてしまう。
人は年輪を刻む際、芯とは別の性質のものを纏い、ある程度の環境変化に堪えられるよう成長している。
それが、丈夫になると言う事である。
例えば、芯を鉄として持つ者ならば、振動が芯まで伝わり難い様に、ある層はゴムで作る、或いは、真空の層を作る必要がある。
例えば、芯を水として持つ者ならば、芯が逃げ出さないように、まず膜を張る必要がある。そして更に、強い風で折れないように、頑丈な金属を纏うか、風に靡くしなやかなプラスチックを纏わなければならない。
人は、単純に太く、大きくなってはならない。
自身の性質に合った、色々な層でコーティングしていく、これが、成長というものだ。
だが、同じ環境のまま人が育つ場合、同じ性質の物質で層を形成してしまいがちである。
環境変化の乏しい場所で成長した人は、ある時、ある種の環境変化(影響)により、一気に芯まで犯されやすいのだ。
芯と同じ物質で、周りをコーティングしてしまったが為に、環境変化に着いて行けず、壊れる。
よって、環境変化に負けない丈夫な形を作ろうとするなら、様々な環境に身を置き、層を重ねていく事が理想的だ。
尤も、変わり行く環境の過程で壊れてしまっては、芯が傷ついてしまっては、本末転倒ではあるのだが、丈夫に成長するためには、ある程度の環境変化が伴わなければならない。
(まあ、芯が元来、脆い物であったり、扱いにくい物であったりする場合は、そうも単純に行かないが。)
私は、年配者に、唯「私より長く生きている」と言うだけで、一定の敬意を持つ。
それは、世は常で無く、時の流れは、多少の環境の変化を生み、その変化し続けている環境に適応してきた、つまり、「生きてきた」と言うだけで、十分敬意に値するからである。
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